キオクログ
誰かの書いた文章は、その誰かの考えが表れている。
誰かの文章を読むことで他人の思考に触れては学び、影響を受けていく。
そうやってたくさんの他人の思考の間を漂っては、心地の良いものを選んできた。
私は文章から影響を受けて生きているし、他人からの借り物をたくさん抱えている。
ふと考えたことがある。
文章を書くという行為は、自分を認め、許し、肯定し、理解することなのではないか。
誰かに向けて書いたり発したりする言葉は、それを向ける相手に用意するもので、それを受け取る相手との関係性の間に作り上げられていく合作となる。自分と相手のためのもので、自分だけのものではない。必要ならば飾り付けやラッピングをしたりもする。
だが日記を書いたり考えを書き出したりする行為の中には、自分しかいない。
自分のために書くのだから、何を、どんな言葉で書いても自由でいい。
遠慮や配慮や相手を思いやるのは素敵なことだけど、それらを脱ぎ捨てた自分とはどんな人間か。
そういう訳でここではくらげのように漂うに任せていた自分の思考を見つめ直すために、
また時間が流れるに任せすぎて希薄になっている記憶を縫いとめるために。
日々を振り返り記録していく場所である。
全世界公開に発信するのはついでというか、その方がやる気が出る気がするから。
もしこれで本当に自分を理解できるようになったら、読んで面白いと思う人もいるかもしれないし。そんな感じで。